大友勢が赤間に向かったとの知らせを聞いて、馳せ参じたのは越前守氏康、深田美作守氏俊、占部大膳種安、吉田伯耆守重致、寺内備後守尚秀、国分若狭守直頼、仲村筑後守尚道、寺内豊前守秀郷、吉田和泉守秀時、同駿河守入道良喜、石松加賀守秀兼、同対馬守尚宗、小樋対馬守秀盛、占部下総守貞康、大和治部允貞秀、神屋弾正、晴気、宮内、金丸、力丸、市丸、薄、赤間、普喜、温科、唐防、門司、須藤、明石、田中、本田、大神、円城寺、仲原寺、原、早川、深川、鮎川、小寺、加藤、等々。

八月十六日豊後勢が嶽山に迫り、あげる鬨(とき)の声は天地に響き、同時に城のほうでも鬨の声をあげる。>次へ

大友勢再び襲来≫尚持の死:1│2│3456789