さて、薩摩の雑兵達は長引く在陣で持ってきた兵糧も食べ尽くし、そこらに押し入っては数限りなく乱暴狼藉を働いていた。そこで、領内の庄郷に守護の人を遣わし、これを防ごうとした。しかし、これ一つ行うのもすんなりとはいかない。氏貞卿が御在世ならばこれほどまでに心遣いせずともよいのにと、奉行達は心底嘆いた。

八月半ばの事であったが、薩摩の郎党が五・六十人田島へやって来た。鎮国寺に押し入って乱暴を働こうとする。貞虎は一番にこれを聞きつけ、鎮国寺の楼門に登って橋のこちら側まで来た悪党どもを目掛けて散々に矢を射掛けた。敵はこれを恐れて、橋を渡ることが出来ずに引き返そうとする。

処々の役所はこれを聞きつけて退治しに出てくるが、悪党どもは浜を目指して北に向った。 追い詰めて討とうとしたが、大した敵でもないのに、これを討ったところで仕方ない。追手が手傷でも負えば、これから大事を控えて戦力の無駄使いであるとして、打ち棄てておくことにした。>次へ