山田の後室−最後の別れ

石松・大和・寺内は言うに及ばず、寺内・吉田、その他この時に四郎殿の御方についたとうわさにあった者は子々孫々に至るまで御祟りの止むことはなかった。恐ろしいことである。中でも吉田に御恨みが深かったという謂れを尋ねてみると、人々が打ち集まって、御菊姫の御母君を害し奉ろうとする計画が今日明日に迫ると聞いた吉田飛騨守尚時はつくづく考えて、末世とはいっても、これほど情けない振る舞いは類のないことである。自分は代々当家恩顧の者でありながら、あちらこちらで耳にする話も悔しいばかりである。しかし、そうはいっても、姫君の味方をして多くの者を防ぎ止めるには力足らずである。目前で殺され給うのを見るのは、耐えがたいことと思い、ここを立ち去り大島に渡ろうと思い、3月22日、渡ろうとするが、その前に今一度母上を拝見するのも今日を限りと思えば、御暇乞を申し上げようと山田の御館へと参上した。>次へ
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