大友勢再び襲来

永禄三年辛酉四月十八日、豊後勢は再び軍勢を集め宗像を攻めた。尚安一族の輩四百余騎は許斐の城に立てこもる。巳の刻(午前十時)に敵陣が鬨(とき)の声を上げると、城の方でも同時に鬨の声を上げた。

その日豊後勢は終日攻撃を仕掛けるが、中々攻め込むことも出来ず、引き上げて人馬に息をつがせ、翌十九日吉弘鑑理・奴留湯主水・立花但馬守は千五百騎を三手に分けて三方より攻め上った。城中は人数少なく防ぎ難い状況であった。

占部右馬助尚持は毛利殿が出雲に発向されるのを助けるべく中国に渡って不在であった。宗像の勢は元就が石見に出馬された頃よりことごとく発向していた。麻生元鎮も又中国にいた。 >次へ

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