飯盛合戦

大友と毛利は和睦したが、今年に至って旧恨再燃し、毛利軍は立花城を攻め取る為に数万の人数をもって立花に押し寄せた。永禄12年九月十日宗像氏貞は数千騎を率いて段の原に打って出、毛利の軍を助けた。飯盛山を本陣とし、楢の折枝の大幕を張り、旗を打ち立てて、その有様は厳かである。宗像家の紋といえば、 古くは白地に菊桐の紋を用いていた。これは清氏親王からの伝来であって、辱しくも天子のご紋を用いておられた。後代に至り、建武3年多々良浜合戦の時、諸軍勢の中にあって食事の折には楢の葉に盛って食していた。その日の戦に勝たれたので、これが吉例になればと、楢の折枝を家の紋に用いられたのであった。>次へ
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