更に軍勢は山鹿の城に押し寄せたが、麻生家助も城を開いて長門の彦島に逃れたので、大友勢はやすやすと宗像・三牧を手中に収めた。

豊後勢は氏貞を討ちもらしたことを残念に思い、船を集めて大島に攻めようとしたが、大島には宗像社の第二宮があり、島の者たちは大宮司である氏貞を大事にして皆命を投げ打って防いだので、豊後の兵は船より下り立つこともできなかったという。

かくて占部尚安は城を開けたことを無念に思い、様々心を砕き、永禄3年には勝島に押し渡り、神湊を従えて仮の城(草崎城)を構え機をねらった。 >次へ

氏貞嶽山開城:12│3│456789