奴留湯主水は赤間表の戦いが心もとなく思えたので、後詰をしようとしたのである。又許斐へ取り掛かるかどうかためらっていた所に、尚持嫡子宮若丸(生年十五才)が長尾原に打ち出て奴留湯の陣に討ってかかった。

これが初陣の宮若丸は敵に早く当たることを願い駆け出そうとするのを、左馬助重安が見付け
「これは何たることぞ。さはせぬものぞ、留まれ」
と制したが、止める声も耳に入らず飛び出した。その宮若丸を重安が追って出る。>次へ
大友勢再び襲来≫尚持の死:123│4│56789